第1章 エグゼクティブ・サマリー:民間退職代行サービスの全体像と法的リスク
民間業者の定義と市場における位置づけ
民間退職代行の法的限界とリスク。
民間企業が運営する退職代行サービス(以下、「民間代行業者」)とは、弁護士資格や労働組合法に基づく団体交渉権を保有しない一般企業が、依頼者である従業員に代わって雇用主への退職意思の伝達や、それに付随する事務連絡の調整を行うサービスを指します 。これらのサービスは、従業員が上司や会社に対し直接退職を申し出る際の心理的・実務的な負担を軽減することを目的としています 。
市場において、民間代行業者は主にその安価な料金設定によって差別化を図っています。費用の相場は1万5,000円から3万円程度と比較的手頃であり、迅速な対応(即日対応を含む)を謳うことで、特に深刻な労働問題や法的な紛争がないと想定される依頼者層からの需要を獲得しています 。しかし、この低価格帯は、後述する法的権限の決定的な限界を反映しています。
非弁行為リスクに関する結論的な見解(民間業者の本質的な限界)
法的分析に基づけば、民間代行業者を特徴づける最大の要素は、弁護士法第72条に規定される「非弁行為の禁止」という厳格な制約です 。この制約により、民間代行業者は、いかなる場合も会社との間で退職日、有給休暇の取得条件、未払い賃金、退職金、あるいは損害賠償といった退職条件や金銭に関する交渉を行うことが法的に禁止されています 。
もし民間業者がこれらの事項に関して交渉に踏み込んだ場合、それは弁護士法違反、すなわち非弁行為に該当し、刑事罰の対象となり得る違法行為となります 。したがって、民間代行業者が提供できるサービスは、依頼者の退職意思を単に「伝達」し、書類の郵送先や貸与品の返却方法などの「事務的な連絡」を調整する範囲に限定されます 。
民間代行業者は本質的に「伝達専門」の仲介者に過ぎません。依頼者がパワハラや未払い賃金など、法的紛争を伴う労働問題を抱えている場合や、会社側が退職を引き留めたり、退職条件について異議を唱えたりした際に、民間代行業者は法的に対抗する手段を持たないため、サービスの価値は大きく損なわれることになります 。このため、民間代行業者の利用が妥当なのは、勤務先が協力的であり、退職意思を伝えるだけで円満に退職できる「ホワイトな企業」に限定されるという構造的な限界が存在します。
第2章 退職代行サービスの類型と法的根拠
退職代行サービスの三類型と権限構造の明確化
退職代行サービスは、その運営主体が持つ法的権限によって、大きく三つの類型に分類され、それぞれ対応範囲と法的地位が明確に異なります 。この分類は、依頼者が求めるサービスの内容(単なる伝達か、交渉・請求か)に応じて適切な代行業者を選択する上で極めて重要となります。
- 弁護士運営のサービス: 弁護士法に基づき、法律事務全般(代理、交渉、訴訟対応)が可能です。依頼者の代理人として、未払い賃金や残業代の請求、ハラスメントに対する損害賠償請求、会社からの損害賠償請求に対する防御など、あらゆる法的トラブルに対応できます 。費用は比較的高額(相場:5万円〜8万円程度)ですが、最も対応範囲が広く、トラブル発生時の安心感が提供されます 。
- 労働組合運営のサービス: 労働組合法に基づき、依頼者が一時的に組合員となることで、組合が団体交渉権を行使し、会社と交渉を行います 。これにより、退職日や有給休暇の取得条件、最終給与の支払い確認など、労働条件に関する交渉を合法的に行うことができます 。訴訟対応はできませんが、一般的な退職条件の調整においては弁護士と同等の交渉力を持つことが可能です。費用は中間的(相場:2.5万円〜5万円程度)となります 。
- 民間企業運営(非弁業者)のサービス: 弁護士法または労働組合法のいずれの法的根拠も持たないため、法律事務の処理、特に会社との交渉は一切できません 。業務は退職意思の伝達という事務代行に限定されます。
これらの三類型の法的権限と業務範囲の比較を下表に示します。この比較は、民間業者の低価格帯が、法的交渉権という核心的な要素の欠如に由来していることを明確に示しています。
| サービス運営主体 | 交渉権限 | 未払い賃金/損害賠償請求 | 対応費用相場 | 法的根拠 |
| 民間企業(非弁業者) | なし(非弁行為に該当) | 不可 | 1.5万〜3万円程度 | 依頼者の意思伝達事務代行 |
| 労働組合運営 | あり(団体交渉権に基づく) | 団体交渉として請求可能 | 2.5万〜5万円程度 | 労働組合法(団体交渉権) |
| 弁護士運営 | あり(代理権に基づく) | 代理人として請求可能 | 5万〜8万円程度 | 弁護士法(法律事務の処理) |
民間企業運営(提携労組あり)
| サービス名 | 公式ページ | 基本料金(税込) | 主な特徴 |
|---|---|---|---|
| 🏅退職代行Jobs | 27,000円 2,000円/組合加入 | 民間企業主体。提携労組により交渉可能。弁護士監修。 | |
| 🏅退職代行SARABA | 24,000円 | 24時間365日対応。LINE相談など窓口の利便性が高い | |
| 🏅退職代行オイトマ | 24,000円 | 労組を通じて団体交渉可能。返金保証・24時間対応。 |
※価格の差はアフターサポートの内容に応じたものであり、料金だけで比較することはおすすめできません
| 比較項目 | 退職代行 Jobs | 退職代行 SARABA | 退職代行 OITOMA |
|---|---|---|---|
| 運営主体(交渉権限) | 労働組合提携(ユニオンジャパン)◎ 団体交渉権あり | 労働組合運営(SARABAユニオン)◎ 団体交渉権あり | 労働組合運営(日本通信ユニオン)◎ 団体交渉権あり |
| 料金(税込) | 27,000円 + 組合加入2,000円 | 24,000円 | 24,000円 |
| コンプライアンスリスク | 低 | 低 | 低 |
| 後払い対応 | ◎ 柔軟に相談可能 | × 対応記載なし | ◎ 後払い対応 |
| 全額返金保証 | あり | あり | あり |
| 未払い給与・残業代交渉 | ◎(団体交渉権) | ◎(団体交渉権) | ◎(団体交渉権) |
| 有給消化交渉 | ◎ 可能 | ◎ 可能 | ◎ 可能 |
| 行政・給付金診断 | △ 一般的サポート | × なし | ◎ 最大500万円の給付金診断(行政書士監修) |
| 転職サポート | ◎ あり | ◎ あり | ◎ あり |
| 転職お祝い金 | ◎ 最大3万円 | × なし | 情報なし |
| メンタルヘルスサポート | ◎ カウンセラー/コーチング支援あり | 一般的 | 情報なし |
| 行政書類テンプレ(退職届など) | ◎ あり | 情報なし | × 自分で作成 |
| 引っ越しサポート | ◎ あり | 情報なし | 情報なし |
| 総合特徴 | 生活サポートが最も総合的。特に転職祝い金が強い。 | 堅実・シンプルな構成でコスパ高い。 | 経済支援(給付金・後払い)に特化した強み。 |
| 適したユーザー | キャリア移行+生活支援を重視 | 交渉力とシンプルな料金のバランス重視 | 生活資金の不安があり後払い・給付金重視 |
労働組合運営 / 労働組合が主体のサービス
民間の退職代行に比べ、アフターサポートは少ないが、その分安価でしかも安心して利用できる退職代行サービスをご希望なら、退職代行ガーディアン一択です。
| サービス名 | 公式ページ | 基本料金(税込) | 権限・特徴 |
|---|---|---|---|
| 🏅退職代行ガーディアン | 19,800円 | 団体交渉権に基づく交渉可。即日対応、公的機関認証あり。 |
民間代行業者の法的権限の限界:弁護士法第72条の適用
民間代行業者にとっての最大の法的制約は、弁護士法第72条(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)です。同条は、報酬を得る目的で、訴訟事件、非訟事件、行政不服申立事件、その他一般の法律事件に関して、代理、仲裁、和解その他の法律事務を行うことを、弁護士または法律によって特別に認められた者(例:労働組合、認定司法書士など)でなければ禁止しています 。
退職代行サービスにおいては、退職に関する労働条件の調整や金銭の清算をめぐる問題が「一般の法律事件」に該当します 。具体的には、企業と従業員の間の以下のような事柄が該当します。
- 有給休暇の消化条件に関する調整 。
- 未払い賃金、残業代、退職金の支払いに関する請求 。
- ハラスメントに対する損害賠償請求 。
- 会社側からの引き継ぎ義務違反や損害賠償請求に対する対応 。
民間業者がこれらの事項に関して、依頼者の利益のために会社側の譲歩を引き出そうとする行為は「交渉」と見なされ、非弁行為として違法となります 。民間業者が合法的に行えるのは、依頼者の「希望」や「意向」をそのまま会社に伝えること(伝達)に留まり、それを超えて法的または実務的な議論に介入することはできません 。
この交渉権の欠如は、民間代行業者の実質的な影響力を著しく制限します。例えば、会社側が有給休暇の時季変更権(労働基準法39条)を主張したり、あるいは貸与品の返却や引き継ぎを理由に退職日に異議を唱えたりした場合、交渉権を持たない民間業者はそれ以上の対応ができず、手続きは停滞します 。結果として、依頼者本人が直接対応を余儀なくされるか、または改めて弁護士や労働組合型のサービスに依頼し直す必要が生じ、二度手間となるリスクが高まります。民間業者の利用は、会社が従業員に不利益な対応を取らないという「信頼」の上に成り立つものであり、その信頼関係が崩壊した瞬間、そのサービスの価値も失われ、法的リスクのみが残される構造となっています。
第3章 民間代行業者の業務範囲と標準的なサービスプロセス
合法的な業務範囲の特定と「伝達」機能
民間代行業者に法的に許容されている業務は、極めて限定的であり、退職の意思伝達とその周辺の事務手続きの調整に限定されます 。
民間代行業者の具体的な合法業務:
- 退職意思の伝達: 依頼者の代理としてではなく、あくまで依頼者に代わって、退職の意思を雇用主に電話などで通知すること 。
- 退職届の提出方法の調整: 依頼者が作成した退職届を会社へ提出する際の方法(郵送の宛先、送付方法)を会社と調整すること 。退職届自体は従業員本人が作成し、代行業者がこれを届けること自体は問題ありません 。
- 貸与品の返却調整: 社員証、制服、PCなどの会社からの貸与品(備品)の返却方法やタイミングを会社と調整すること 。
- 退職書類受領の調整: 会社が発行すべき離職票、雇用保険被保険者証、源泉徴収票、年金手帳などの退職関連書類の受け取り方法や郵送先に関する事務連絡を行うこと 。
これらの業務は、いずれも「法律事件」に関わる代理・交渉行為には該当しない、純粋な事務連絡および情報伝達の範囲内と見なされます。
利用開始から退職完了までの標準的な流れ
民間代行サービスの利用プロセスは、代行会社によって多少の差異はあるものの、概ね以下のステップで進行します。特に、企業側が従業員本人への確認を行うこと、および退職届の作成・郵送が依頼者本人の役割である点が特徴的です 。
- 無料相談と依頼: 従業員が代行業者に連絡し、サービス内容や有給休暇、退職金の取り扱いに関する希望条件を相談し、依頼を確定し料金を支払います 。依頼者は、会社名、雇用形態、所属部署、上司の名前、希望する退職日、有給残日数などの基本情報を事前に整理しておく必要があります 。
- 会社への連絡と意思伝達: 依頼が確定した指定の日に、代行業者が会社(通常は人事部や人事権のある管理者)へ電話連絡し、退職の意思を通知します 。
- 企業側の対応と本人確認: 代行業者から連絡を受けた企業側は、冷静に対応し、まず代行業者の身元確認を実施します 。次に最も重要なのが、従業員本人に直接連絡を試み、退職の意思を確実に確認することです 。弁護士資格のない代行会社には代理権の法的根拠がないため、本人への確認は企業側の正当な対応として認められています 。
- 書類の郵送と退職処理: 企業による本人確認が完了し、退職意思が確かなものと確認された場合、会社は通常の退職手続きに移行します 。この際、従業員本人に対し、退職届の作成・提出が依頼されます 。依頼者本人は、退職届や社員証などの貸与品を会社へ郵送します 。
- 退職完了: 会社は退職届を受理し、有給休暇の消化、退職処理(最終給与計算、離職票などの法定書類の発行・郵送)を進めます 。依頼者は、退職後に国民年金、健康保険、税金、失業手当などの必要な公的手続きを行います 。
| ステップ | 民間代行業者 | 依頼者(従業員) | 企業側(雇用主) |
| 1. 依頼とヒアリング | サービス内容と条件の確認 | 会社情報、希望退職日の提示 | なし |
| 2. 会社への連絡 | 退職意思の通知(伝達のみ) | なし | 代行業者からの連絡を受領 |
| 3. 本人確認と退職手続き | 企業からの連絡を依頼者へ伝達 | 退職意思を企業へ確認 | 従業員本人への意思確認(記録を残す) |
| 4. 書類および備品のやり取り | 郵送方法や宛先の調整 | 退職届、備品の作成・郵送 | 退職関連書類(離職票など)の迅速な作成・発送 |
| 5. 退職完了 | 依頼者へ退職確定を報告 | 必要書類の受領、諸手続きの実施 | 退職処理(給与計算、保険手続き) |
即日退職の実現可能性と限界
多くの民間代行業者が「即日退職」をサービスの特徴として掲げていますが、その実現可能性には法的、実務的な限界があります 。
即日退職とは、代行業者が会社に連絡した当日をもって出社を停止し、退職手続きを進めることを指します 。これは、民法上の期間の定めのない雇用契約における退職予告期間(2週間)が存在するものの、会社側がこれを争わない限り、事実上の出社停止は可能であるため、多くのサービスで謳われています。
しかし、民間代行業者には交渉権がないため、会社側が「引き継ぎのために出社が必要だ」「民法に基づき2週間後の退職とする」など、退職日や条件に異議を唱えた場合、民間業者は法的な根拠をもって対抗することができません 。民間業者の対応範囲では、依頼者の「希望」を伝えることに留まり、会社側が拒否した場合、手続きが停滞するリスクを負います。
これに対し、弁護士運営の代行サービスであれば、法的根拠を示した上で即日退職を成立させる交渉が可能であり、会社が連絡に応じない場合や退職を拒否している場合でも、内容証明郵便で正式な退職通知を送付することで、法的な証拠を残しながら退職の意思を明確にできます 。この法的措置の有無が、紛争発生時の即日退職の確実性を分ける決定的な要素となります。
第4章 民間代行サービス利用に伴う法的リスク分析
依頼者側(利用者)のリスクと失敗事例
民間代行業者を利用する依頼者側は、そのサービス範囲の法的限界に起因するいくつかの重大なリスクに直面します。
まず、交渉失敗リスクが挙げられます。有給休暇の完全消化、未払い残業代の清算、または退職金の増額など、会社との交渉が必要な労働条件に関する希望が会社側と折り合わない場合、民間業者は合法的に介入できないため、依頼者の希望は実現しないまま手続きが進められる可能性があります 。特に、パワハラによる退職や、多額の未払い賃金があるケースでは、弁護士や労働組合のような交渉権を持つ主体を選ばなければ、権利の主張は事実上不可能です 。
次に、非弁行為への巻き込まれリスクです。弁護士資格を持たない民間業者が、依頼者のために越権行為(例えば、会社に「未払い賃金を支払うよう法的に請求する」など)を行った場合、その業者は弁護士法違反として刑事罰の対象となり得ます 。この際、依頼者もトラブルに巻き込まれ、捜査機関から事情聴取を求められるなど、不必要な負担を負うおそれがあります 。
さらに、サービス品質リスクも無視できません。異常に安価な料金(例えば1万円以下)を提示したり、「即日退職100%保証」といった誇大広告を使用したりする業者は、運営元が不明確であるなど、信頼性が低い特徴を持つことが多いです 。実際に、「格安サービスを使ったが、途中で連絡が取れなくなった」「退職できず、会社に逆に連絡がいった」といった被害報告も存在しており、サービス選びの慎重さが求められます 。
企業側(雇用主)のリスクと適切な対応策(コンプライアンスの視点)
企業が民間代行業者から連絡を受けた場合、これを単なる退職手続きと捉えるのではなく、組織における労務管理上の「警報」と認識し、冷静かつ法的に適切な対応をとることが、コンプライアンスリスクを最小限に抑える鍵となります 。
非弁行為への毅然とした対応と事務連絡への限定
企業は、民間代行業者から交渉を求められた場合、断固としてこれを拒否しなければなりません 。民間代行業者は弁護士法第72条に基づき交渉権を持たないため、企業側がその越権行為に応じることは、法的な線引きを曖昧にし、非弁行為を助長するリスクを伴います 。
企業側は、代行業者に対し「貴社には弁護士法に基づく代理権・交渉権がないため、交渉には応じられない。連絡は事務連絡として扱う」旨を明確に通知すべきです。これにより、やり取りは退職の意思確認、退職届の提出方法、貸与品の返却調整といった行政事務的な範囲に限定されます 。
本人確認の徹底と記録保持
弁護士以外の代行会社が連絡をしてきた場合、会社としては従業員本人に直接確認することが正当な対応とされます 。これは、代行業者に代理権の法的根拠がないため、従業員本人の真の退職意思を確認する義務があるためです。企業は、本人に連絡を試みた日時、方法、および結果を詳細に記録に残すことが、後日の「退職を認めない」といったトラブル防止策として極めて有効です 。
法定の手続き遵守と金品迅速返還義務
退職の意思が確認された後は、会社として行うべき法定の手続き(引継ぎ依頼、貸与物返却、最終給与計算など)に注力することが賢明です 。
特に注意すべきは、労働基準法第23条に基づく金品の返還です。企業は、退職者から請求があった場合、賃金(未払い残業代を含む)、積立金、保証金、貯蓄金などを、退職日から7日以内に支払うことが義務付けられています 。この期限を徒に先延ばしにすることは法律違反であり、罰則のリスクを負うだけでなく、未払賃金等を労働者の引き留め策に利用していると見なされる可能性もあります 。代行サービス利用者の権利を尊重し、法定の手続きを迅速かつ厳密に進めることが、法的リスクを最小限に抑えるための最善策です。
| 行為の分類 | 合法的な伝達範囲(企業側が応じて良い範囲) | 非弁行為に該当する行為(企業側が拒否すべき行為) |
| 退職日関連 | 従業員が希望する退職日を伝えること | 会社側の時季変更権の行使に対し、法的根拠をもって退職日調整を試みること |
| 金銭請求 | 未払い賃金や退職金支払いに関する情報提供を求めること | 未払い賃金、残業代の計算を提示し、会社にその支払いを請求すること |
| ハラスメント/損害賠償 | 会社側からの不当な連絡や要求を拒否すること | 依頼者の代理人としてハラスメントに対する損害賠償を請求すること |
| トラブル対応 | 退職届や備品の郵送方法を調整すること | 会社からの退職拒否に対し、法的な根拠を示して退職成立を主張すること |
民間代行業者が交渉権を持たないという法的限界は、企業側にとってリスク管理上の重要な要素を提供します。企業は、この法的制約を利用し、労働基準法や就業規則に基づいた事務的な手続きを民間業者に一方的に通知し、それ以上の議論をシャットアウトすることで、不当なプレッシャーや法的リスクの発生を防ぐことができます。これにより、会社は「退職を拒否していないが、法的手続きを遵守している」という立場を明確にすることが可能となります。
第5章 市場動向、費用構造、およびサービスの選定基準
費用相場と料金体系の比較分析
退職代行サービスの費用構造は、その運営主体が持つ法的権限に強く相関しています。民間代行業者(非弁業者)の相場は1.5万円から3万円程度と、最も低価格帯に位置します 。一方、団体交渉権を持つ労働組合運営のサービスは2.5万円から5万円程度と中間的な価格帯であり、訴訟対応まで可能な弁護士運営のサービスは5万円から8万円程度と、最も高額になります 。
依頼者が注意すべきは、料金体系の透明性です。異常に安い料金(例えば1万円以下)を提示する業者は、運営元の情報が不明確であったり、非弁行為の疑いがあるなど、トラブルのリスクが高い傾向にあります 。利用者は、追加料金やオプションの有無、そしてサービスが失敗した場合の返金保証制度が明確に示されているかを確認することが必須です 。
実績データと利用されやすい業界の傾向
一部の退職代行サービス(例:退職代行モームリ)は、累計利用者数や複数回利用された企業の情報を公開しています 。これらの実績データは、退職代行の利用が単なる個人の問題ではなく、特定の業界や企業体質に根ざした構造的な問題の指標であることを示唆しています。
利用回数の多い企業ランキングの上位には、人材派遣会社が最も多くランクインしており、その他に車販売会社、コンビニチェーン、運送会社などが目立っています 。
人材派遣会社が頻繁に利用される背景には、構造的な問題があると考えられています。派遣社員が「商材」として扱われるため、退職されると企業の売上利益が直接的に低下することから、過剰な退職引き留めに遭いやすい構造が指摘されています 。これにより、従業員は自力での退職が困難となり、代行サービスへの需要が高まります。
また、運送会社が上位にランクインしていることは、長時間拘束や体力的な負担の高さといった過酷な労働環境が退職代行の利用を促す一因となっていることを示しています 。退職代行の利用が特定業界で顕著になることは、当該企業の労務管理上の問題、特に従業員が退職意思を直接伝えにくい閉鎖的な環境や、過度な引き留めが存在する企業システムに対する構造的警報として捉えるべきです 。
適切なサービスの選定基準(利用者・企業双方の視点)
民間代行サービスを選定または対応する際、利用者および企業側双方が法的コンプライアンスを重視することが不可欠です。
利用者側の選定基準:
- 法的コンプライアンスの確認: 非弁行為を行っていないか、適切な業務範囲で運営されているかを事前に確認する 。運営元の情報(所在地、代表者名)が公開されているか、顧問弁護士が在籍しているかどうかも重要なチェックポイントとなります 。
- 対応範囲の明確性: 未払い残業代の交渉が可能か、法的トラブルへの対応が可能かなど、「できること・できないこと」を具体的に質問し、民間業者であるにもかかわらず交渉を謳っていないかを確認する必要があります 。交渉が必要な場合は、弁護士または労働組合運営のサービスを選ぶべきです 。
企業側の対応基準:
- 運営元の識別: 連絡してきた代行業者が、弁護士法人、労働組合、または単なる民間企業(非弁業者)のいずれであるかを、身元確認によって正確に識別し、権限に応じた対応をとる必要があります 。
- 越権行為の監視: 代行業者が退職条件(有給消化、賃金)について「交渉」を試みた場合、それは非弁行為の疑いがあるため、毅然として拒否し、対応を事務連絡に限定する必要があります 。
第6章 結論と提言:民間代行業者の位置づけと今後の展望
民間代行業者の役割再定義と限界の再確認
民間企業が運営する退職代行サービスは、退職を希望する従業員が抱える心理的な障壁(上司への恐怖、引き留めへの懸念)や実務的な手続きの煩雑さを軽減するという点で、現代社会において一定の社会的な役割を担っています 。しかし、本レポートで詳細に分析した通り、そのサービスの本質は「法律事務ではない伝達機能」に限定されており、法的権限を持たないという根本的な限界が存在します。
したがって、退職手続きがスムーズに進まず、会社側が退職を拒否する、懲戒解雇を主張する、または未払い賃金や損害賠償といった法的なトラブルが想定されるケースにおいては、民間業者はその役割を果たすことができません 。このような法的紛争を伴う状況においては、弁護士運営または労働組合運営の、交渉権を持つサービスを選択することが必須となります 。民間代行業者は、あくまで「平和裏に退職の意思を伝えたい」という需要に特化したニッチなサービスとして位置づけられます。
健全な労務管理の観点からの企業への提言
退職代行サービスの利用は、企業側の労務管理体制における何らかの欠陥を示す「シグナル」です 。企業が退職代行の利用を防ぎ、健全な組織運営を維持するためには、以下の提言に基づいた予防策とコンプライアンスの徹底が必要です。
- 組織問題の特定と改善: 退職代行が頻繁に利用される背景には、特定の業界で見られるように、過度な引き留め、長時間労働、ハラスメントなど、従業員が退職意思を直接伝えにくい風土が存在します 。企業は、代行利用の事実をネガティブな兆候ではなく、組織の問題点を特定するためのデータとして活用し、労務環境の根本的な改善に取り組むべきです 。従業員が退職の意思を気軽に伝えやすい、風通しの良い環境作りや、退職手続きの明確化を進めることが、代行サービス利用の予防策として最も有効です 。
- 法的な線引きの遵守: 民間代行業者とのやり取りにおいては、企業側が弁護士法72条の規定を厳守し、代行業者の交渉要求に対しては毅然と応じない姿勢を貫く必要があります 。越権行為を助長しないよう、対応を本人確認と行政事務的な手続きに限定することで、企業はコンプライアンスリスクを最小限に抑えることができます 。
- 法定手続きの迅速な実行: 退職の意思が確認できた場合、企業は労働基準法第23条に基づき、未払賃金や預かり金などの金品を迅速に返還する義務を果たす必要があります 。会社が法定の手続きを迅速かつ適正に実施することは、退職者とのトラブルを未然に防ぎ、円満な退職を実現するための鍵となります 。